受託の面白さとは何か

2020年最初の記事がこれか、いきなり仕事ど真ん中の話か、ほかに面白い話題ないんかいと、自分でも思わなくもないが、そもそもの話として仕事よりも面白いことなんてそうそうないので仕方ないかとも思う。

ちなみに昨年はというか、もう何年もだけど、僕は重度(?)の「はてブ」利用者で、基本的に思いのたけはブコメで済ますという雑なことをしてきた。文字数の関係でどうしても雑にならざるを得ないうえに、複数の言いたいことがあるとひとつに絞らないといけなくて逆にストレスになるという、自ら首を絞めていくスタイルでもあったので、今年はなるべくブログに書いていこうと思う。思うだけでどれだけ実践できるかはわからんけど、きちんとできたらかなりの記事数になるだろう。そうなると、こいついつ働いてんの?という風評被害(謎)になりそうなのが気がかりではあるが、そういうことは実際にそうなってみてから改めて考えるとしよう。

* * *

で、さて、掲題の受託の面白さについて。これはブコメじゃなくて引用RTで雑に済ますという形で言及したものの、なんか言い足りない気がしたので、上述のとおりブログに書くっていうのを物理的に実践してみる次第である。

AccTalkでの発言ということで、ここでいってる「付けなあかん」はたとえば文字サイズ変更ボタンのたぐいのことで、「それいらん」はアクセシビリティ確保のためにやりたい各種のまっとうな施策のこと(文字サイズ変更ボタンのたぐいではなくて、たとえばアクセシビリティ試験とか運用ガイドライン策定とか)だろう。

受託において、クライアントが偉いみたいな構造になりがちなのは、商流上ある程度は仕方ないことだとも思われる。ようするに、多くの業務委託が請負契約であり完成責任があるからだ。すなわち、要求仕様を満たして納品することで対価を得るってことであり、文字サイズ変更ボタンが必要だと言われたらそうですねということになるし、ガイドラインなんかいらんって言われたらやはりそうですねということになる。なるというか、そうですねで完結しておいたほうが業務進行の見通しもつくし、仕事として終わらせやすいのだ。

この商流上課せられてしまう構造を変えようということで、昨今、従来は請負契約だったものを準委任契約に変えて引き受けるというケースもそれなりに見受けられる。準委任契約の場合は完成責任がない。契約上、成果物責任が問われなくなるものの、じゃあどうやって対価を得るのかというと、稼働対価という形で報酬をいただく。ようは月に何時間稼働したのでおいくら万円くださいねというやつだ。ただ、これって極論すれば、実質なんも成果として結実しないけどなんかうろうろしてればおいくら万円達成しちゃうわけで、クライアント側にとっては請負契約よりもメリットがないように思ってしまうのではないか。請負契約以上に信義が問われるともいえ、よほど信頼されていればともかく、そうでなければなかなか準委任契約に変更するのは難しいだろう。(なお本記事では請負契約と準委任契約の話をしたいわけではないので、これ以上の詳細は割愛)

ちなみに「受託」という言葉は業務を委託されるという意味でしかないのだが、一般的な論調として「請負契約」を指していることが多い。

ということで、「受託は基本お客さんにいるって言われたら付けなあかんし、それいらんて言われたらできひんねんて、そこからやから」というのは、「請負契約な以上は、言われたとおりにするしかない」と言っているのと等しい。

はて?

はたしてそうなのだろうか?

弊社は、というか弊社に限らないだろうが、そもそも業務を引き受ける際、クライアントの事業推進者という立場のつもりで引き受けているという認識がある。つまり「パートナー」というやつだ。パートナーは下請けや外注の単なる言葉の言い換えではなく、あくまで業務遂行のスタンスを示している。ようするに、われわれ受託者は、業務委託された時点で中の人のひとりなのだ。下請けや外注という呼称自体がどうだという話ではなく、立ち回りとしてきちんと中の人を演じられるかを、仕事を引き受ける際の判断基準として重要視している。たとえばクライアントには、受注前にそういうつもりで今回の仕事を委託しようとしているかどうかを確認したり、弊社のスタンスはそういう感じだよというのを説明したりもしている。

中の人の一員として、当該プロジェクトが良い結果をもたらすために何が必要か、何をすべきかということを議論し、設計し、実装するのがわれわれ受託屋の仕事だと思っている。

もちろん、外の人だからこそ言えることがあるみたいな、あくまでも外の人であることを明文化してチームメンバーになるというケースもある。しかしそれは当たり前なのだ。どんなに気持ちが中の人だといっても給料の出所が違う以上はやはり外の人なのである。つまり、中の人だけども外の人だし、外の人だけど中の人なのだ。

この中の人と外の人が同居する感覚が心地よいし、何より楽しい。クライアントが積み上げてきた歴史を共有してその一部となって一緒に社会へ貢献するという有意義さがあり、自分たちが培ってきた経験を実務に費やし新しい創造をするというこれまた有意義さがある。有意義さしかないうえに成長できるしお金も稼げるというものすごい何かなのだ。

きちんとやればきちんと見返りがある。受託って本当に最高だよな。

* * *

先の引用には「そこからやから」という言葉があったが、毎回「言われたとおりにする」という基本の認識を覆すところからやらないといけないという悲鳴なのだろうとも読み取れた。だが、受託案件のスタートラインはどこにあるかといえば、僕は中の人になるところからだと思う。言われたとおりにするしかないという状況がスタートラインではなく、そもそもそんなポジションなんか存在しなくて、中の人のひとりとして、当該事業者において、文字サイズ変更ボタンの必要性やアクセシビリティガイドラインの意味を問い直したりするのがスタートラインなんじゃないかと思う。

ちなみに、言われたとおりにしてほしいって思っている発注者がいること自体は認識しているし、「言われたとおりにやる」という業務があること自体も否定しない。実際にそういうのはあるし、そういうふうにするときだってもちろんある。そういうときは、素直に「今回は売り上げを積むためにこれをやる」みたいに、超具体的なミッションにしてクリアを目指すゲーム性を作り出すというように、楽しさを別のところに見出したりしてどうにかする。けど、短期的なモチベーションにはなるものの、そればっかりだと続かないんだよね。

なので、「受託は基本そうだ」っていうからには、言われたとおりにやるのが常態化してるってことなんだと思うんだけど、むしろそんな状況でなんで受託を続けているの? どういう面白さがあってモチベーションが続くのか教えてほしいっていう気持ちもある。あるいは、受託屋はそんなことが“面白いと思ってる”なんて本気で思ってるのかって、なんなら発注者に問いたいくらい。

まあ上述したとおり、僕は受託は最高だなと思っていて(僕の考えるスタンスでいける限り)、だからもう20年以上、続けてこられたし、これからも続けていきたいっていう気持ちは揺るがない。

ということで今年もツルカメ、ネコメシともども、よろしくお願いします。お仕事たくさんしたいので、ぜひお声がけください!

 

仕事は最高に楽しい
仕事は最高に楽しい

posted with amazlet at 20.01.04
中谷彰宏
第三文明社
売り上げランキング: 103,761