父が他界して思ったこと

もう気づけば二ヶ月も経ってしまったわけだけど、4月下旬に父が他界した。

それで思ったんだけど、とにかくもっと、ベタベタと父の身体を触っておけばよかった。

男親と息子という関係が、よりそれを助長させたのかもしれないが、ときどき施設へ会いに行っても、「お父さーん」とか声はかけるが特に肩や顔を触れるでもない。ただ、顔を見て帰ってくる。言葉はしゃべれなくなっていて、身体も動かせないのだが、顔の皺が動いたり、目を強くつぶったりとかするので、僕の声は認識しているようではあった(“僕”だと認識していたかはわからないけど)。

そんな接し方が何年か続いていて、というか、それより以前の、実家で介護ベッドに寝ていた頃も、お盆や正月などに実家へ帰った時でもだいたい同じような接し方だった。布団をかけ直してあげたりとか別にしなかったな。

そもそも要介護状態になるより前の、まだ元気だった頃でさえ、父と直接触れ合うことなんてなかった。思い返せば、小学校時代は手をつないで歩いていたけれど、まあ、なんだろ、ぎりぎり中学生まではありえるかなあ。高校以降はまず無いと思う。もしかしたら、10年以上前になるが、結婚式に来てくれた時に触ったかもしれないが確信はない。可能性としてありえるのは、その時くらいしか無いんじゃないかというくらいだ。

ということはだ。僕は父に、25年以上触ってなかったということになる。

4月下旬に父が危篤状態となり、施設から病院へ救急搬送され、母から連絡を受けて僕も病院へ駆けつけた。しかしその時でさえ、僕は父の身体に触らなかったのだ。「お父さん!」と声はかけたり、ああ死んじゃうんだって思って声をかけながら涙が止まらなくなったりしたけれど、触らなかったんだ。その翌々日未明には他界してしまうので死に目には会えなかったが、遺体となって実家へ帰ってきた父、これにもまた、結局触らなかった。汚いとか気持ち悪いとかじゃなくて、たぶんだけど、なんかカッコ悪いみたいな、そうしたしょうもない感覚があったのではないかと思う。

それでその後、火葬場で骨になってしまうわけだけども、あーあ、お父さん本当にいなくなっちゃった、と思った。

そう思った時に、無性に後悔したんだけども、せめて病院に行った時とか、お通夜で夜通し近くで過ごした時とか、もっともっと、ベタベタと触っておけば良かったなあと。ほんと、今更言っても仕方ないんだけど。

* * *

ちなみに、僕の高校合格祝いに、父はFM TOWNSというパソコンを買ってくれた。ディスプレイやらプリンタやら色々合わせて70万円くらいしたんじゃないか。かなり高いものを買ってくれた。それから僕はFM TOWNSの虜になって、日々、絵を描いたり、音楽を作ったり、プログラムを書いたりしてた。

高校卒業後、ゲームクリエーターの専門学校へ行ったのだが、授業とかで必要だと言ったらMacを買ってくれた。TOWNSとMacの両方を使って、やはり絵を描いたり、音楽を作ったり、プログラムを書いたり、それとパソコン通信とインターネットで遊んだりしてた。

いま僕が、Webとかで食べていけているのは、あの時父がFM TOWNSを買ってくれたからだ。趣味でやってたのがそのまま仕事になってしまって今に至っているというか。僕はずっとその延長線上を歩いてきたし、この先もおそらくはこのまま歩いていくんだと思う。

お父さん、ありがとね。おかげで毎日楽しく仕事しているよ。ありがとう。

 

ありがとう、お父さん
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