映画館のUXがアンコントローラブルな件

最近、こんな話題がありました。゛元映画館従業員が語る“飲食物”についての一連ツイート「映画館も飲食物についてはかなり試行錯誤してる。その結論がポップコーン最強」 – Togetter」”という話。

これで思い出したのですが、先日、マスカレードホテルの上映が、ぼちぼち都心部は終わりそうだというタイミングで、大画面で見ておきたいかなとレイトショーへ行きました。平日のレイトショーなので、実に空いており、快適に見れるかなと思っていたのですが、まあなんというか結論としてはしんどい結果となったのです。

空いてて人の目が行き届かないことを逆手にとってか、スマホの電源切らないどころかずっと開いてなんかいじってるやつがいたり、持ち込みのマクドナルドをむさぼるやつがいてポテトのにおいが充満するとかで、かなりいらつきました。

そのうえ、やや遅れ気味で入ってきた人がいるのですが、こんなに空いてるのに、僕の目の前の席に座るんです。しかも、やたらと座高が高い! ただでさえ民度が悪くていらついてるところに、目の前は人の頭でスクリーンの真ん中が見れない状態。座高高いやつは一番後ろに座れよ! それかもっと尻を浅くして寝そべるようにして見ろよ! というかこんなに空いてんだから隣に座れよ!(結局僕が隣に移った)

いやまあ、座高高いやつが前に座った問題については言いがかりだろうというのはわかりますよ。持ち込みやスマホと違って、身体的なものだから仕方ないだろうということもわかります。ええ、わかりますとも。

でもこんだけがらがらに空いてるんだし、すぐ後ろに人いるんなら隣にずれて座ればいいだろう。座高高いの絶対自覚してると思うし。

これレイトショーだから1300円でちょっとお安いといっても、1300円しか払ってないからポテト臭いしスマホがまぶしいし座高高いやつが目の前にいるってことじゃないわけでしょう。ていうかこれで1800円だか1900円だか払ってたらハラワタ煮えくりかえるだろ。

言い換えると、映画館の快適さってのは、自分以外の観客の民度に完全に依存していて、UXがアンコントローラブルすぎるということです。それでいて飲食物でも買おうものなら軽く3000円になってしまうミドルコストエンタメのくせに、この程度のUXしか提供できないサービス設計なのです。

一方で、今どきは映画も含めた動画の配信サービスが充実してるご時世なわけです。しかも月間見放題で2000円前後。ネットフリックスのシアターモードとPSVRでもあれば、映画館独り占め的な大画面ないし没入感の再現もある程度できますし、おしっこしたくなったら途中で止めることだってできるわけです。ヘッドセットを2時間ずっとつけてるとじゃっかん重さで首が痛くなる的な問題はあるものの、快適さを自身でコントロールできるのは大きい。むしろ自身でコントロールできるっていうこと自体がすでに快適なくらいです。

とはいえ、映画館へ行くというのは、まあお出かけしているという一日の過ごし方的な部分があり、たとえば映画館で映画を見てからショッピングを楽しみつつ帰り際に外食して帰るみたいなこともあるわけです。面白い映画だったならば、見た後の会話もはずむことでしょう。そういう観点からも、映画館というものの存在は捨てたものではありません。ほかにも、映画館は複数の人が同時に見るということで、ライブやスポーツのパブリックビューイングみたいなものにも向いています(こうしたケースでは民度の方向性が共通項になって安定するし、むしろグルーヴ感というか場のノリが相乗効果で倍増したりする)。

そういうわけで、「アンコントローラブルなUXを提供する施設である」という事実から目を背けずに、映画館というサービスの体験設計を、今一度、改めて実施して欲しいなあと願う次第なのでした。このままだと本当に映画館へ行かなくなってしまいそう。どうぞよろしくお願いいたします。

 

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